大人になって考える。長く付き合える友人の作り方

子育て中の趣味
スポンサーリンク

半世紀近くを生きてきて、友情について、折に触れて、様々、考えることがあります。

人生の中で、特に学生時代にはそれは多くの友人と出会う機会があります。

学生時代の友人は生涯の友」という言葉もありますが、この言葉には、社会にでてみるとやはり頷けるものがあります。

友情や友人について、思うところを、少しお話させてください。

スポンサーリンク

互いに理解し合える友人を持ちたい

学生時代に、苗字が近くてよく隣に座ったとか、帰り道がたまたま同じ方角だったという偶然で、生涯付き合える親友を見つけたという人もいるようです。

あるいは

  • 部活が同じだった
  • クラスで持ち上がった
  • 問題を共に乗り越えた

など、きっかけがあってから友情が芽生えたという人も多くいることでしょう。

その一方で、出会いやきっかけは様々でも友情をはぐくむ過程で、“少し、自分とは合わないぞ”という思いを抱いて、友情が続かなかったという経験をしているかもしれません。

笑いあった友達との喧嘩や別離はつらいものですが、このときに流した涙は大事です。

自分を作る上で欠かせない涙の1つであろうと思いますし、その友達にとっても、同じ重たい意味を持った涙であることでしょう。

そう考えると、永続的な友情は本当に不思議です。

長く続く友情に共通していることは、無理が無くて、お互い理解し合える関係が保たれているということでしょう。

育った環境も違いますし、人は変わっていく場合もあります。

ですから、以前は理解できていたと感じた友人が、自分の理解を超える行動を起こすように変化してしまったら、無理をしてまで友情を続けることはありません。

そして、それは確かにさびしい気持ちを抱かせますが、長い長い人生で捉えると、一時期のことであって、互いに別の道を歩んでゆきます。

そこでまた、別の友情を見つけるということになるのだろうと思います。

自分も成長していく中で、ある友人との友情に終焉がくることは、寧ろ、喜ばしいことでもあるのかもしれませんね。

友人がいないのは寂しいこと?

学生時代や、若者と呼ばれる時期には、“友人が多いほうが人望があり、人としての魅力がある

という考え方に捉われてしまいがちです。

すると、いつも一人で行動している人や、友達が少ないと噂で聞いた人のことを、心の中で、“さびしい人だな”と、位置付けてしまう場合もあるでしょう。

けれども、それは、本当でしょうか。

一人で行動ができる人の中には、自分自身を持っている人がいて、誰に合わせなくても、とても居心地のいい時間の中に落ち着いた自分をゆだねているということがあります。

また、人間の友だちは実際に少数でも、読書をこよなく愛していたり、例えばオペラなどの芸術に深く親しんでいたりと、その人にとっては友情に変わる、自分を励まし、高め、愉しませてくれる何かを早くから掴んでいるという人もいます。

人づきあいが得意でないと言われる人が、ちょっとそのあたりの誰よりも優しく、聡明な人物であるということも現実には多くあることです。

大人になると、それまでに多くの人に出会ってきた経験から、人の魅力は友人の多い少ないで決まるのではなく、はやり、その人がどういう人かで、決まってくるのだと分かるようになります。

それはときに、ほんの少しの会話から、わかったりすることもあるものです。

結婚をするなら、親友にしたい人と

さて、「結婚をするなら、親友にしたい人」というフレーズを聞いたことはありますか。

生涯に一人の伴侶を選ぶなら、親友にしたいと思うくらいに、誠実で、自分に合った人間を選べという意味だと私は理解しています。

もちろん、この“誠実で、自分に合った人間”という部分は、私自身が親友に抱いているイメージなので、人によっては

  • 自分を高めてくれる人
  • 自分にない部分を備えている”

など、親友に求めるイメージは違っていることでしょう。

それでも、生涯のパートナーと親友を横に並べているこの表現が、私はずっと好きです。

パートナーは多くの場合が異性で、親友は、多くの場合は同性なのかもしれません。

しかし、人間性は両者の持っている本質的な部分が似通っていると、人は幸福になれると、このフレーズは説いているのです。

困難に遭遇したときには、肩を貸してくれる、あるいは知恵を分けてくれる存在であり、自分が間違いを犯してしまいそうになったら、叱ってくれる存在。

つまりは、友達の中の友だちである親友とは、そういう存在だと、昔から言いつがれるこのフレーズは、語っているのですよね。

友達は少数精鋭がいい

友人は、少数精鋭がいいと、つくづく感じます。

特に、親友ともなると、多くても、二人ほどではないでしょうか。

なぜ、友人も親友も少なくていいのかというと、価値が大きいので、少なくて十分だからです。

例えば、自分がとびきり綺麗な景色を見たとして、それを実際に自分と一緒に次回連れて来て見せてあげられるのは、精々多くても三人程度ではないでしょうか。

これは例え話ですが、そういうことだと思うのです。

友人の話を親身になって聞き、その友人の変化に気づいてあげられる、そういうギブアンドテイクを、何年も継続していけるには、お互いに惹かれ合っている相手だからなのでしょう。

“自然に”自分にとって、必要な存在であって、ふと頭のに“元気に暮らせているだろうか”と浮かぶ相手は、少数なのです。

こんなことがありました。

私の知り合いに、一人で長く暮らし、自宅で倒れた高齢者がいたのです。

すっかり勝手に孤独だと思い込んでいたその高齢者の暮らしぶりを、後から手繰ってみると、その人には長い間、同性の心優しい友が一人いて、折に触れてその老人に寄り添っていたことがわかりました。

分かち合える友達と、人生の晩年まで直接に会ったり、手紙を送り合ったりしていた、そんな人生って素晴らしいです。

その友達の存在を知った瞬間、私の中でのその倒れてしまったご高齢の方の人生に、ぱあっと一筋の明るい光が差し込んだように感じられました。

真の友達とは、そういう存在かなと思うのです。

おわりに

友人は、選んだ方がいいと言われます。

それはきっと、友人の人間性の豊かさが、自分の人生をも豊かにしてくれるからなのでしょう。

友達選びに真剣に迷うとき、自分はこの相手と結婚してもいいか。

という考え方を一つの指針にするのも、なかなか良い方法だと思います。

タイトルとURLをコピーしました