表現する仕事が世の中にもっとあふれたらいいのに

カラダとこころのケア
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商品なりサービスなり、いつも誰かが提示してくれているものをまるっきり受容するだけの人のつもりで眺めていたら、いつの間にかそれらが消えてしまっている、もう売ってくれないみたいということがあります。

人気が出なくなったということもあるのでしょうが、どうもそれを提供する側の人手不足みたいという場合も往々にしてあります。

現在では、自由業と呼ばれる何かに関してそれが甚だしいかもしれません。

私はその中でも今、特に作家業に関してそこを思います。

そしてそこから始まって、自らの才能を生かして表現する人、特に芸能界の仕事と思われる物事が世の中に出回っている数が少なくなっているのではないかというイメージを持ちます。

芸能人はフリーランス的に活動することは少ないのかもしれないですが、表現という仕事の性質と、受け手側の人々が必要とする作品数が世の中に満ちていないという現象において同様に感じられるということから、ここまで広げて同様の理屈で考えられる部分があるのではないかと思います。

このような仕事の様子が見られる場合に、必要なことというのは何かを考えてみたいと思います。

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「出てるはずだけど足りない」というのはどのような感じか

作家にしろ芸能人にしろ、確かに人はいて働いているのが見て取れます。

その人たちは作品だって以前と変わらないペースで出しているのではないでしょうか。

だからよく、提供者側はこのままで大丈夫なはずだと思っていたりするようです。

でもそのようなとき受け手側でよく言われるのが、「好みのものがない」「自分向けのものがない」ということです。

出ているもののクオリティが高いことは分かるので、それらの作品自体に文句が出るわけではないけれど、そのような不満感はあるわけです。

そしてそういう時期というのは、自分たちが好きだなと思う人や、ずっとスターだと思える人たちは出てはいるんだけど、何だか世代交代がないとか、新しく出てきた人たちがいるにはいるけど、どうもこなれすぎていて目立たない、先輩に阿りすぎるなどという風にも感じられます。

この辺が人手不足に陥っているときに受け手側の人が持つ特徴的な感覚かと思います。

もしかしたらやはり、上手な見せ方をされているから気付かないだけで、本当に出てくることが出来る人数や作品数は、個々人当たりに感じられるものとしては少しずつ減っているのかもしれません。

そしてまた理想的な調子で提供できるようになってきたなら、受け手側もいつの間にかまた自分にとって十分満足感を得た状態で作品を鑑賞したりしている気がします。

隠れ人手不足の原因とは

このような隠れ人手不足とも言える現象はどうして起こるのでしょうか。

それは、人が表現することで生み出す作品というものが、人にとって実は生活用品とも言うべき必需品だからだと思います。

どのような人にとっても自由というものは何より楽しくて、自分がそのようにして生きていければ最高だと思っているはずです。

しかしそこに上手下手はあるから、自分がそのポジションをつかめないならそれらを上手くしてくれている人の作品を見て楽しむことにします。

作品鑑賞は、自由な自己実現とある意味等価です。

従って、自由な表現をして作品を作ってくれる人の仕事は世の中にありふれていればいるほど人にとって潜在的にありがたいと感じられることでしょう。

心のなぐさめや勇気づけになってくれるもの、つまりは精神のケアに抜群に効いてくれるのです。

何かあればすぐ人の気分というものは変調を起こします。

そのためベーシックな気分の状態、平和な状態のときのための作品だけでなく、色々なその時々の社会情勢に従って自分の気持ちに寄り添ってくれるものをたくさん人は求めている状態です。

今考えられているよりも実はもっと数があってしかるべきなのが、小説や芸能関係などの作品と考えることが出来るのです。

そのためそこを意識して、もっと日常使いレベルにそれらが至るように仕事の形や経路が変わっていかないと、隠れ人手不足感が起こってくるし、いずれは行き詰まり感まで出てきたりもするのでしょう。

作品は誰でも作れるのではという考え方

それでも芸能界というのは、やはり仕事が全国的に通用するレベルでなければ入れるイメージのないところです。

そのためそこの人なのにいきなり日常使いのレベル、比喩でなくその人その人に実際にその場で寄り添っているかのようなレベルを実現しようと仮にしようとしたとして、それは難しいことになるのでしょう。

なので作家業や芸能関係の仕事が現実的に日常使いの地点までなかなか降りてこないのかもしれません。

従って今やるといいことは、今既にやっている人にこの上縦横無尽に走ってもらうことではなく、それらの仕事場でもっと普通の人に近い、それらの人でもやりやすいレベルの場を設定し、そのような人に入ってもらうことではないでしょうか。

今も昔も、そのような意味ではアマチュアだけど音楽関係の仕事をしているという人や、同人即売会みたいなレベルでオリジナル小説の作品販売をしているという人はたくさんいます。

それらの人はもはやそのようなレベルで、作家や芸能関係の職種の人と言ってもいいかもしれません。

少なくともその人たちに作品を作り続けてほしいなと願う人たちにとってみればそうでしょう。

それならそれが成立すると見たって構わないはずなのです。

そしてまた、そのレベル設定は、人がいるところならそこの人の好みに合わせてどんな高さであっても成立させられると言うことも出来ます。

それなら、自分の作品作りの上手下手があったとしたって、適所を見つけて飛んでいくことが出来るでしょう。

そのように場を開いてしまおうというアイデアさえ実現出来れば、自由な表現をして生きていくことが出来るという、人が誰でもとても大好きなことが仕事に出来るという可能性が大いに広がります。

学校を出てすぐいい就職先が見つからない人にしたって、自分にもこういう仕事が出来てとても楽だしいいなと思いながら生きていくことが出来るようになります。

提供側、受け手側の両方のためになる、このような仕事を編み出すことが今は求められているのではないかと思われます。